南河内万歳一座を観るべき理由

南河内万歳一座「似世物小屋」

担当している演目、南河内万歳一座「似世物小屋」が来週末、北九州芸術劇場 小劇場で上演される。平たく言うとその宣伝です。

劇場ができて割と初期から、毎年来てくれている南河内万歳一座。名前だけは聞いたことあったけどどんなことやってるか全然知らなかったころは、大阪の劇団だとか、あのチラシのビジュアルだとかで、「ウチら大阪でおもろいことやってまっせー」みたいな大衆演劇なのかな、と思ってた。そんでまあ、食わず嫌いだった。それが劇場職員になって、担当で関わらせていただく機会ができてから、好きになっていった。

今年でどうやら35年くらいになるのかな。座長の内藤裕敬さんが大学生のころに有志を集めて作った劇団だけど、いくら大学生が作ったからって、35年も経てばみんないい歳になってる。そりゃそうだ。生まれた瞬間に劇団旗揚げしても、35年経てば35歳になってるもんな。誰だっていつまでも大学生のままじゃない。

内藤さんの作品は、一言で言うと奥が深い。単純にみんながある状況であたふたする物語だと思ってたのしんでもいいんだけど、その「ある状況」がなにかのメタファーに見えたときに、物語が一気にいろいろな顔を持ち始める。昨年上演された「ジャングル」という作品は、出口の見えない混沌とした現代を、日常の中に突如現れたジャングルとして描いていた(個人的には初演の方がインパクトが強かった)。今年の「似世物小屋」では、なんの行列に並んでいるのかよくわからないけど、それでもとにかく行列に並んでいる人々を描く。その行列が、初演とはまた違った記号に見えてくる、らしい(まだ観てないからわからないけど、感想を読むとおもしろそうな感じ)。「観るひとによってテーマが変わる作品」というのが、内藤さんの作品の最大の魅力だと思う。

そして、なにより好きなのは、南河内万歳一座のひとたち。みんなものすごく真摯に戯曲に取り組んでいて、飲みの場でもああだこうだと戯曲の解釈を語り合っている。ツアー始まってかなり経ってても、自分の出番じゃないシーンを観て勉強してたり、作業が終わって夕方で帰れる日でも、劇場に残って自主稽古してたりする(内藤さんは早めに帰ってる)。ほんとうに演劇が好きなんだなあという感じがする。そういうひとたちが、それぞれ、その時点での精いっぱいの哲学を持って舞台に立っている。そのエネルギーっていうのは、なんかわかんないけど感動的だったりする。万歳のみんなが、なにかひとつのことに全員で反応してる画なんて、こころの中では「そんなに15人で驚かんでも……」みたいに可笑しく思ってても、なぜかうるっときてしまう。

そんな大好きな南河内万歳一座だけど、最近その好きなひとたちが抜けていってる。客演のひとたちもやっぱり好きになれるひとたちなんだけど、好きなひとたちがいなくなるのはやっぱり淋しい。35年やってても、団体の運営はやっぱり相変わらず大変なことが多い。楽しいことばかりじゃないというのは、めちゃくちゃ現実的だ。そういう現実と、35年向き合っている劇団の哲学を、毎年観られるのは、とても貴重なことだと思う。

最近北九州では若い子らが(というフレーズを使えるくらいには歳を取ってしまった……)劇団だったりユニットだったりを組んで、やってみたい表現を試している。それ自体はいいことだと思う。一時期よりはよっぽど賑やかになってきた。若いときには誰でもよくわからずとりあえず亜流我流でいろいろ試してみることが多い。そういうとき、30年以上やっているカンパニーの作品を観ることは、とてもいい体験になると思う。その哲学に触れること。いままだその哲学が全然理解できないものでも、いつか自分の視野が広がったときにやっと、「あれってこういうことだったのかな」というのがわかる。南河内万歳一座の作品には、それがたくさん詰まっている気がする。僕もその哲学がやっとほんの少しわかってきたかなというところで、今年もまた新しい哲学に触れられるのが楽しみだったりする。

ということで南河内万歳一座「似世物小屋」、12月12日(土)〜13日(日)に北九州芸術劇場 小劇場でやってますので、特に若手演劇人たちにぜひ観に来てほしいものです。あと、今週末の劇団きらら「ガムガムファイター」も、熊本で30年やってきたカンパニーの哲学の結晶のような作品なので、お時間ある方はぜひどうぞ。熊本で観たけど、福岡でも観たい。