宇都宮企画「あした、雨がふったなら」

宇都宮企画の第4回公演「あした、雨がふったなら」を観てきた。「10万年の寝言」の期間中、宇都宮くんがふいに「本が書けないときってどうすればいいんですか……」と蚊の鳴くような声で訊いてきたので、「ああ、本書けてないんだ」と思ってたんだけど、あれから1か月。果たしてすばらしい作品ができてました。

普段、観たお芝居の感想とか書かないんだけど(めんどくさいし、書いたやつと書いてないやつとがあって角が立つのもアレだし)、宇都宮企画は軽く感動したので書く。書くぞ。

前に劇トツで観たときにも思ったんだけど、本と演出の境目がいい意味でわからなかった。これは不思議少年の作品でも思ったな。はじめからこの画が見えながら本を書いてたのか(作家の勝利)、それとも演出の力なのか(演出の勝利)、それぞれがいい仕事して結果ここに来たのか(両者の勝利)。たぶん我々の下の世代は感覚的にこういうものを立ち上げるのがうまいんだろうなあ。俺がいずれも下手なだけなのか?

宇都宮企画の今回の作品は、会場であるengelをモチーフにイメージを膨らませたもの。と、弊社が運営するサイト「mola!」に書いてありました。「こうだったかもしれないengel」と、「こうだったかもしれない寺本さん」がたくさん出てくる。寺本さんというのはengelをやられている方です。店主(テンヌシ)。寺本さんご本人も劇中にちょこっと出てくる。それが、「まあそういう役どころで出るよね」というポジションで、本来ならあざとい役回りになってもおかしくないんだけど、あざとくない感じで作品全体にかっちりとハマってて、そこで不覚にもちょっと涙腺が緩みかけてしまった。俺はこういうのに弱いんだ。今回の作品はengelへのリスペクトに溢れてて、それが作品全体を通して伝わった瞬間にグッときた。別に泣くような作品じゃないんだけど。視点の優しさというか、そういうのにグッときたんよ。

二番目の庭(というのが太古の昔存在していたそうな)でもカフェスペースでの公演をしたことは多々あるけど、会場へのリスペクトとか全くなかったかもしれない。まあ、最初期にそれで大失敗をしてしまって深く反省したこともあるんだけど。失敗したにも関わらず、その後もやっぱり「ハコ」としてしか見たことがなかったかもしれない。

「自分たちはこういう作品をつくることにしました」という宇都宮企画の結論は、なんというか、ものすごく大事なことに気づかせてくれた気がする。mola!やってると外の情報も当然入ってくるんだけど、熊本のGALLERY ADOと劇団仮面工房もそういうリスペクトでつながってるんだろうなあ……。

作品全体が100点満点かというとそんなことはなくて、言い方ムズいけど、全体をもうちょいうまくイコライジングするともっとよくなるのでは、みたいに感じたところもあった。でも、具体的に何をどうすればよかったのかわからん。なんかイコライザー使うといいのでは。イコライザー。そういうの、本来稽古で解消するものなんだろうけど、稽古の回数でどうにかなるもんなんだろうか。わからん。ただ、それを補って余りあるくらいに「engelでこの作品を上演する」ということについて演出家ががんばったのはわかるので、それ以上どうすればイコライジングできたのかはわかりません。俺は演出としてはカスだから。

こういう作品って、「いきなりどういう場所に行ってもリスペクトする部分を見つけてつくれる」っていうもんでもなくて、なんかいろいろな要素が幸せに結びついてできるもんだと思うので、そういうのがengelで観られてとてもよかった。そういえば、不思議少年も熊本の酒蔵なんかでよくやってる「野白金一物語」という朗読形式の短編(野白金一という、熊本の日本酒の神様と呼ばれているひとの生涯を紹介する短編です)があるんだけど、あれもめっちゃリスペクト感じて好きだったな。

「好き」を形にして、それをきちんと届けてるひとたちを見ると、いいもん見たなあという気持ちになりますね。宇都宮企画、たまにでいいのでがんばってほしい。